子供のおこづかい事情

皆さん、お子さんのおこづかい制度って

どんな風に工夫されていますか?

 

なかなかよそのお宅の おカネにまつわる話題って

しにくいですよねー?

 

価値観、環境、子供の性格と様々なので、

どれが正解とはありません。

キャッシュレスが進むこの時代に、

子供たちは どう「おカネ」とうまく付き合っていくのか、そして おカネは一生付き合っていくもので、人間関係のトラブルにまで発展してしまう。

 

おカネの「チカラ」って、恐ろしいものだと

私は思っています。

 

ありすぎても、なさすぎても 困り事は

必ずついて回る。

 

だから、金銭感覚のバランスを小さいうちから

少しずつ 身につけて欲しいと思って、

小学3年生からおこづかい制度をスタートしました。

 

おこづかい制度を始める前は、

子供にねだられると

なだめる→効果なし→叱るか、

買うか、どちらかしかありませんでした。

 

おこづかいが始まったことで、「自分のお金で買う」の選択肢が増えました。

 

制度をスタートする時に、

私はおこづかい帳を1冊用意して、子供に使い方を説明しました。

 

ルールは、

①毎月必ずつけること。

(詳細はそこまで細かくなくてよいから、後で何に使ったかを見返せるようにしておく。)

 

②おこづかい帳の提出週間に出さなければ、次のおこづかいはナシ。

(日にちにしなかったのは、自分も子供も忘れる もしくは、様々な事情で守ることができないことへの猶予期間の意味です。)

 

③おこづかい帳の提出前に、残高とおこづかい帳を照らし合わせこと。

(合わない場合は、項目を「?」にして調整したことをおこづかい帳に記入する)

 

 

この3つを約束しました。

 

3年生からスタートした理由は、

足し算引き算ができ、それが面倒ならば

電卓が使える年齢だからです。

 

電卓はそれ専用に、100均でボタン大きめのものを買って持たせ、おこづかい帳とセットで管理するようにしました。

 

持たせる財布はひとつとし、所持金に合わせて

使いやすい財布を持たせました。

財布は子供と選びにいき、使いやすさを相談しながら、最終的には子供の気に入った財布にするようにしました。

 

ひとつの財布に現金を集約させることで、

所持金の管理がしやすくなり、残高と合わせることが容易となるので、子供の手間が省くようにしました。(面倒くさがりの息子が続くように)

 

財布の置き場を決め、財布自体を無くさないようにしました。(財布そのものが見つけられないと、全ての計画がおシャカになりそうだったので)

 

そして、3年生の時に500円からスタートです。

お手伝いを相当頑張ってくれた時は、臨時ボーナス100円をあげたりもしました。簡単なお手伝いひとつやふたつでは渡しませんでした。(おこづかい目当てのお手伝い、にはしたくなかった為。あくまでお手伝いとは、家族間の協力という位置付け)

 

おこづかい帳を付けて、収支を管理できないうちは身の丈に合わない金額は持たせない、そういう方針で進めました。

その代わり、学用品や衣類などは、こちらで

子供の気に入ったもので、かつ親の予算内で買いました。

 

おこづかい帳というアナログなものから

スタートしましたが、高校生になったら

アプリなどデジタルで管理をOKにしようと

思っています。

 

 

キャッシュレスという方法で決済ができる

世の中だからこそ、管理できないと身の破滅にも

繋がる。

計画性を持って、おカネと上手に付き合っていかねば、おカネに飲まれてしまう。

 

「お金が全て」の価値観になって欲しくない、

「お金は道具」の価値観であって欲しい。

「お金を使うことは悪」ともなって欲しくない、

 

困ったことをモノを手に入れることで解決する、気持ちを伝える、自分の心を満たすモノを手に入れる、お金はその為の道具である。

それは、これからも子供に教え続けながら、

自分も上手に付き合っていかねばならないと

常々思います。

 

 

先日、学校の家庭科授業で、

おこづかい帳をつけている子が

クラスにうちの息子を含めて3人しかいなかった

こと、その中でも息子が1番長くおこづかい帳を付けていたことが判明したそうです。

 

それぞれのやり方がありますが、

こんな風にしてるよってアイデアがあれば

是非教えてもらいたいです♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事辞めたいWAVE、来襲中

今の会社に就いて、あと少しで丸6年になる。

 

最初はパートだったものの、今は

正社員の いわゆる「お局」

のポジションである。

 

その位置になったら、

気が楽になるかと思いきや。

 

このご時世 パワハラと言われまいと

後輩の顔色を伺って、

ナメられたことを言われても

笑ってやり過ごすしかない。

 

それでも「お局」というポジションは

煙たがられてしまうのだろう。

 

 

 

 

最近、求人サイトをよく閲覧する。

 

これは、私の中に仕事の負担が大きく、

逃げたい気持ちになっている状態のサインだ。

 

若さの勢いで「もう辞めます」

と言える勇気もなく、

求人サイトを見ることで

自分の気持ちの逃げ場を確保しているのだ。

 

 

いつからだったか、私はふと思った。

 

「結婚と就職って似ているな」と。

 

結局、どんなに最初はよくたって、

色々な面が見えてくれば、粗ばかりが

気になり出す。

最初の頃は、「いいなぁ」と思う面も

それが当たり前になってくると、

気になるのは悪い面ばかりだ。

 

 

 

私は今、きっと余裕がないのだ。

余裕がなくて、感謝の気持ちを

持ち合わせることができないだけなのだ。

 

失えば、気づくのだろう、そのありがたみに。

 

でも、自分の手中にあるうちは

ありがたみを忘れてしまいがち。

それが幸せを逃す方向に進むことも

知っている。

 

 

よし。

来月のテーマは決まりだ。

 

「どうやったら余裕は生まれるのか」

 

 

そんな事ばかり考えていると

ますます余裕がなくなりそうだから、

 

今日は美容院でリフレッシュしてこようっと!

 

 

 

 

子宮全摘出 手術記録③

本日 術後3日目。

 

点滴による 抗生物質の投与、

痛み止めの投与が終わる。

臍部の保護に貼られていたガーゼも外された。

 

今日からシャワー許可が下りた。

 

食事は粥から米に変わり、腸の動きが

復活していることの確認が取れた。

(ガスが出たか、排便はあったかなど)

 

こうなると、もう病院でしかできないことは

なくなった。

 

というコトは、

もうすぐ退院!!

 

明日の診察後、退院日が決まりそうです。

早ければ、明日の午後には

自宅に戻れるかなぁ〜♡

 

 

私の場合、全身麻酔が切れる時の発熱や、

陰部からの出血もなく、傷口の化膿も

ありませんでした。

ビックリするくらい順調でした。

 

ただ、お腹の傷が痛むので、お腹にチカラが

入らない 泣

トイレでガンバルことができないので、

めっちゃ便秘になっています。

お腹パンパンに張って、苦しい〜!

 

明日、退院できたら

久々に家族でご飯食べれるから嬉しいなぁ😆

 

 

これにて、手術記録は終わりとなります。

今回、時間が沢山あったので、

備忘録も含めて、私の体験をブログに上げました。

 

これから同じような経験をされる予定の方、

また近しい立場の方が手術を控えていらっしゃる方、今現在、回復期の方、

色々な方の参考になればと思います。

 

ご質問等ありましたら、コメントにてご連絡くだされば、時間見つけてお返事します。

 

世間の女性は、強いと思っている人!

女性の身体はとてもデリケートです。

 

イライラしている女性、辛そうな女性、

落ち込んでいる女性、

 

もしかしたら、その人は身体の不調が

原因かもしれません。

 

様子を聞いてもらえると、それだけで嬉しいのです。

どうか、優しくしてあげて欲しいです。

どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

 

 

子宮とのお別れ②

入院の前夜、息子とベッドに横に並び、

お兄ちゃんにしてあげられなかったことへの思い、

ホントは赤ちゃんを産みたかったこと、

息子が産まれた時のこと、

息子が育った子宮を失うことへの思い、

そして、子宮摘出決断した理由、

全部全部、包み隠さず 息子に打ち明けました。

途中、泣いてしまったりもしました。

 

 

けど、決めたんだ、この先の未来が明るくなるようにと。

 

息子は、うん、うんと聞いてくれました。

僕は大丈夫だよって、ママは気にしなくていいよって言ってくれました。

 

時に、どちらが親かわからなくなるほど、

息子の成長についていけなくなりそうです。

 

 

私のお腹に子宮はもうない。

けれど、空っぽになったお腹には、

家族の愛と、未来への可能性が

詰まっているような気がします。

 

私のモットー。

失ったモノや手に入らないモノより

 

今 自分の手の中にあるシアワセを大事に。

 

前を向いていくしかないんだーー!!

子宮とのお別れ①

子宮全摘出。この手術をするかどうか、

悩んだのは、実は2回目でした。

 

子供を妊娠中に引っかかった、子宮頚がん検診。出産後、発覚した子宮頚がん高度異形成。

それによる手術の時も、子宮摘出か、円錐切除か、悩みました。

 

当時、私は31才。

前夫が亡くなって、2年経った頃でした。

お付き合いしている人もいなかったけれど、

まだ出産が可能な年齢からして、

子宮を取る決断はできませんでした。

 

今回、その決断をした理由は

2つあります。

1つは、血小板の増加でした。

子宮筋腫により、体内で出血があると

血小板がすごく増えてしまいました。

それにより怖いのが、血液がドロドロになり、

血管が詰まりやすくなります。

 

近親者に、脳梗塞の人もいたのも

決断の要素のひとつです。

 

2つ目は、生活への支障でした。

筋腫は、8センチほどの大きさになり、

生理の時は、モレが不安で仕方ない状態でした。

1番太いタンポンを入れ、シンクロフィットを挟んだ後で、夜用のナプキンをしないと

落ち着いて仕事が出来ませんでした。

 

夜も早く休みたくても、モレてしまう為、

それに合わせた就寝時間にしていました。

 

私は生理前には便秘、生理を迎えると緩くなって、一気に出てしまうのが、お決まりのパターンでした。

筋腫が大きくなるにつれ、便意を催す時に起こる痛みが、尋常じゃないものになっていきました。

冷や汗、悪寒、震え、めまい。ただの腹痛なのに、立っているのも難しい状態でした。

 

仕事もプライベートも、私の思うように動けない日が増えた事で、この先の将来に漠然と不安が芽生えました。

 

それでも、今の夫との間に子供は欲しかったし、息子をお兄ちゃんにしてあげたくて

数年葛藤していました。

子宮全摘出 手術記録②

手術室に入り、今日行われる手術内容を

自分の口から話して確認。

手術台の上に横になる。

室内では、音楽が流れており、それが

子供が前によく聞いていた曲だったので、

子供を想っていたら、なぜか涙が流れた。

 

優しい看護師さんが、ガーゼで涙を拭ってくれた。

その後、麻酔が点滴から入ってきて、

まもなく意識は無くなった。

 

 

 

目が覚めると、薄暗い部屋で

夫が私の手を握って、「よく頑張ったね。取った子宮は、思ったより大きかったよ」と

話してくれた。

交わした会話は、それしか思い出せない。

 

意識がハッキリした頃には、

足にはエアーポンプ、尿管がつけられ、

顔には酸素マスク、腕には点滴、オムツを履いた状態だった。

 

朦朧としてはいるが、お腹が何となく痛い。 

 

しばらくすると、便意を催してきた。

後で聞いたら、腸の癒着を防ぐ為に、下剤を投与して、腸の活動を促すとの事。

 

オムツの中で用を足すことは、手術の痛みよりも耐え難い事ではあったが、看護師さんの

「治療の為に、こうでなければいけないし、

同じ手術をした人は皆そうですよ」との言葉に救われた。

 

「恥ずかしい思いをさせて、ごめんね」と看護師さんは言ってくれたが、仕事とはいえ、医療従事者の方には、頭が下がる。

 

気づけば、口内炎ができていた。

喉の違和感も、挿管の時にできた傷の為だろう。手術前に説明を聞いていたので、

不安はなかった。

 

朝を迎えて、酸素マスクとふくらはぎのエアーポンプが外された。

エアーポンプは血栓予防の為に付けていた。

 

久しぶりに口にした水は、なぜか甘く感じて、

あまり飲めなかった。

 

その後、個室に戻り、だんだんと自由に動けるようになった。

ここからは日にちが薬だ。

今は、手術翌日の夜。1日でここまでなるのは、やはり腹腔鏡手術だからだろう。

患部は、おへそと横の小さな穴が2箇所。

開腹手術に比べて、切開部が圧倒的に小さい。

 

退院日も早くなるかもしれないが、

仕事に行けるのは、もう少し先かもしれないな。

 

子宮全摘出 手術記録①

43才、肥満あり。

軽度糖尿病あり。

 

手術2日前。

体調管理の為、入院する。糖尿病食を摂り、

血糖コントロール

無糖の飲み物はOKだが、

それ以外は摂取不可。

 

手術前日。

糖尿病食は変わりなく摂取。

塩分、量共に控えめなので、お腹が空いて

仕方ない。

夜8時 下剤を飲む。朝方効いてくるそう。

夜9時以降は、水を飲むのも不可。うがい可。

いつもの眠剤を飲んで眠るが、あまり

眠れない。

 

手術当日。

朝、浣腸する。5分も耐えられなかった。

その後、シャワーを浴びる。

 

手術内容の説明を受ける。

腰を高く上げた状態の内診台で手術が

行われる為、肩への過重に備えて、

パッドが当てられるとの事。

子宮摘出に際して、不安がないか

確認を受ける。

 

手術30分前。

付き添いの夫が到着。

手術所要時間 4〜5時間との話だが、それより早くなる可能性ありとの事。

10分前になったら、看護師さんと徒歩で

手術室に向かう。ここで夫とは一旦お別れ。

 

 

 

淡々と記録を残しています。

感情の揺れ動きは、また改めて

アップします。