久々の浄化

 

涙を流すことは、心の浄化。

と聞いたことがあります。

 

 

昔から泣き虫で、大人になっても相変わらず。

それでも、その涙は、

感動であったり、悔しさであったり、

喜びであったりと、理由はそれぞれ。

 

 

 

母は、私の幼少期の頃を

「感動屋さん」と言っていました。

 

私は感情の揺れ幅が大きいようで、

嬉しいことも、悲しいことも、人一倍。

 

 

しかし、やはり泣いてばかりでは、

解決しないことも増え、泣くエネルギーを

解決法であったり、気持ちの落とし所を

探す方に費やすことが多くなりました。

 

自分の感情を、後ろ回しにする癖が、

自分を高めていくのだと思っていました。

 

 

 

 

先日、私が3年近く苦しんでいることが、

もうすぐ解決しそうであったのに、

またも 先延ばしになりそうな事が判明。

 

あまりのショックに、しばらくは

呆然とするばかり。

気持ちにフタをする癖のせいか、

すぐに感情的にはなれませんでした。

 

動悸が止まらず、手も声も震えて、

帰りの道もどう帰ってきたのかも

あまり記憶にありません。

 

夫と子供の待つ自宅にすら、

帰るのを迷うほどでした。

 

 

自宅に着いたあと、私は 夫にしがみつき

大きな声で泣いた。

 

悔しいのか、悲しいのか、

名前の付けられない その感情は、

私の目から 次々と溢れて

しばらくの間 止まりませんでした。

 

 

あらゆる感情を出し切ったら、

あとはどうすればいいか、

私が納得できる答えは何なのか、

考えることが出来ました。

 

 

 

昔の上司に、

 

「悩むことと、考えることは違う」

 

と学びました。

 

考えることも 勿論大切だけど、

私の後ろに隠した気持ちも、

同じように大切なんだと

気づきました。

 

他の誰でもない、

私は私を大切にしてあげようと

そっと思いました。

 

 

「自分を大切にする」

 

自己犠牲を美徳とする この世の中では、

それがどういうことなのか、

理解できない人も

多くいらっしゃることでしょう。

私もそれは、苦手分野です。

 

自分の気持ちを、ちゃんと表現すること。

それも、自分を大切にするってことなのかも

しれません。

 

嬉しかったら、「ありがとう」

悲しかったら、「傷ついた」

 

そう伝えること、

少しずつ 少しずつ

できるようになりたい。

 

 

 

また幸せへの小道を、

今日 見つけました☺️